東北-歴史・文化情報局

柳之御所遺跡第84次発掘調査の現地公開レポート!

2022年10月25日、「国指定史跡 柳之御所遺跡第84次発掘調査の現地公開」に行ってまいりました。
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遺跡発掘に関する知識はないので、あくまでも素人の感想レポート程度に優しい眼差しでご覧いただくと幸いです。

柳之御所遺跡について詳しく知りたい方は,下記サイト等でお調べいただくと幸いです。

◎参考サイト:平泉の文化遺産

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さて、今回の調査を端的に言うと、現在の柳之御所史跡公園を拡張したいという狙いがあるそうで、そのために堀外部地区の未調査の部分を把握する必要性があるため行われている調査なそうです。

堀外部地区においては、奥州藤原氏の一族や家臣団の屋敷地ではないかという見解のある最大級の建物跡を再確認。
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今回、この建物の一部を調査し、さらに大きなものであることがわかったのだそうです。

◎柱穴
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・柱穴列を1列追加
・4間×9間の規模で、床面積は約225㎡
これは堀内部地区の大型建物跡と比べても見劣りしないものだそうです。

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渡された「現地公開資料」の中にトレンチという用語があり、担当者に質問したところ、調査の際、大体この辺りに建物があったのではないかという目星を付けるんだそうで、そのための溝なそうで…これも手作業で掘っていくものなので、結構手間のかかる仕事です。

◎作業風景
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調査の結果、道路脇の北側には大型の四面庇建物を含む建物跡や井戸跡、溝跡などが配置されていることがわかりました。
これは従来から考えられてきた、この場所が「屋敷」として利用されていたことと矛盾しないそうです。

◎井戸跡
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加えて、規模の大きな建物跡が含まれていることから、奥州藤原氏の一族や家臣団といった比較的身分の高い人たちが移住していた可能性が考えられるそうです。

◎出土した,かわらけ・陶磁器の破片
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堀外部地区の機能はどのようなものであったのか、今後の調査に期待しましょう!
記事をお読みいただき、有難うございます!
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中八維平と由利八郎の謎3

関氏の「由利八郎」についての見解

2022年9月発行の『奥羽武士団』の中で、著者の関幸彦氏は、「由利氏」の項目の中で、野口実氏の論文「出羽国由利郡地頭由利維平をめぐって ―源頼朝政権と出羽国―」について述べている。

その中で、本書では明確な断定は下せないとしながらも「*由利一族がその後、和田合戦で所領没収の憂き目に遭ったとすれば、出羽の地域領主たる立場の由利氏が和田氏と関係することはいささか難しい。その点で出羽出身の由利氏の系譜には、断絶があった可能性は否定できない」として、野口氏の見解に一定の理解を示している。

としながらも、関氏は、「由利氏」の項目のなかでは、由利八郎は奥州合戦の際、捕虜となったが頼朝から許され、その後、大河兼任の乱にさいし、これと戦い戦死した。また、由利八郎の所領は子息の維久に継承され、維久は建暦三年五月の和田合戦で泰時側に参戦したが、「造意ノ企」があったため所領の没収となった(同、五月五日条)としている。

このように、従来の由利八郎と由利中八維平の同一人物説で話を展開させているのである。

ちなみに、野口氏は自身の2021年7月21日のツイートの中で、入間田宣夫氏より著書『中世奥羽の自己認識』を恵送され、入間田氏は「私の由利八郎と由利中八は別人であるという指摘を明確に肯定された」とコメントしている。

従来の見解、中八維平と由利八郎の混同が解消されることを望む‥

とまあ、ちょっと「由利氏」の件で時間を食ってしまったが、次回からは論の主役である大河兼任に話を戻していきたいと思う。

続く…

◎引用文献


◎参考図書



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